23回文フリ東京 エ52 既刊 『ユートピアだより』 見本 

新刊の見本はアップしましたが

(こちら↓)

 

toubako.hatenablog.com

 

今まで出した本の試し読みをどこにもあげていなかったので、ここで紹介します。

 

文フリのwebカタログにも情報を載せています。

「ユートピアだより」無響サイレン@第二十三回文学フリマ東京 - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 

書影はこんな感じです。

 

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紹介文▼

 

  • ずっと戦いが続いている、どこかでの話です。
    市民は地下にシェルターを与えられ生活しています。
    ある日、規制線の張られた町の中でリンは見かけない格好をし
    道路に横たわった少女を見つけます。
    少女は何日も寝たまま、ようやく目を覚ました彼女は口をきけないようで……



    どうしようもなさや踏み出すことの恐さは
    その人それぞれの持ち物であって
    他人にはどうしようもできないこともある

    わたしと似た人はこれまでにも居たし
    これからも現れるだろう
    それを希望として
    ここで、これから、暮らしていく

 

 

ここから本編の見本になります。

 

 

 部隊はもう隣町まで来ているようで、たくさんのものや人が動いている空気の震えが微かに感じられた。もう何が原因か分からないくらい昔から続いている戦争だった。たくさんの国や組織が入り交じってそれぞれに矢印が向いていた。大元の原因にその時々で見つけてきた理由をくっつけて、その中から場合によって一番もっともらしく聞こえる理由を選んで人々は納得したり、そうさせられたりしていた。私も、幾度となく聞いた。何と何が、どうして、何処で、そしてこれからはどうなっていくのか。それももう忘れてしまった、元々、きちんと聞く気などなかった。この場所は、ただ戦場として使われることが決まっていた。小さな町だから抵抗する手だてはなかった。私と関係のない組織がここで戦ってまたどこで戦ったりするから、終点は全部がなくなったときだと思っていた。今残っているものはこれから壊されていって、何もなくなった綺麗な世界になると思っていた。何も考えなくて済む都合のいい想像だった。

 人がみな、逃げるかシェルターに入るかした町はひっそりとして、年の始めの朝早くの感じに似ていた。全ての店にシャッターが降り、人陰は見あたらなかった。地上に出たのは一週間ぶりで前よりかなり寒くなっていて、大通りに続く道は規制線が張られていた。私はそれをくぐって、大通りに抜けようとした。私とユクの居るシェルターは市街地から離れていて、一旦地上に出ないと配給の受けられる会館まで辿り着けなかった。多くのシェルターは元からある排水設備を利用した地下廊で繋がっていて、そのまま会館まで抜けられる。会館に行くのも目的のひとつであったけれど、シェルターはひどく退屈で昼夜も分からなくなる。しかしよく考えると退屈というのは少し違っているのかもしれなくて、元々書庫として使われていたシェルターは、もちろん本がたくさんあるしユクも居る。ただそれを読む気にならなかった。まだ始まってもいないのにいつ終わるか知れず、緩くだるさが付きまとった。何もする気が起きないことが多くなり、そういった時は地下廊をひたすら歩いたり、地上に出たりするのがよかった。だから会館に行くのは気晴らしになった。冬が近づき、地上の冷えた空気は時々であれば心地良いものであった。危ないことが無関係に見える、生き物の気配のしない現実味のない町をただ歩いていた。これから少し経って色々なものが壊れたこの町で、私がまた日々を過ごそうと、そのために行動している様子を想像できなかった。自分が生きていく為なのにそれをやっかいなことと思ってしまうのは、生きている自覚が足りていないからかもしれない。この町が危険でなくなってもずっとシェルターに籠もっていたかった。元通りになった町では、私は戦闘に巻き込まれて死んだことになっていればいいと思った。

 その日は三時半頃に私たちのシェルターから一番近い出口で地上に出、そこから歩いて会館に向かおうとした。会館の配給部門が閉まるのは五時なのでぎりぎりになりそうだった。トラムが線路の上で止まっていたのがちらと見えて気になり、そちらに向かった。トラムの乗客の乗る昇降口は開かず、運転席のドアは開いた。キーは刺さったままになっており、まわすと電源がついた。この線は会館に続いているはずだった。誰もいないし良いかと思って、レバーを手前にゆっくり引くとそろりと動き出した。レバーを引いた分だけ速度は上がったが、そうはせず、人が走ったら追い越せそうな位で走らせた。レバーは引いたところで止まっていたので、運転席を離れ客席に座り、景色を眺めた。人を大勢乗せて運ぶ為の乗り物が、何もしていないのに勝手に動くのは楽しかった。会館まではずっと大通り沿いを線路が走っている。小さな町の古い中途半端な繁華街は、シャッターが降りると余計みすぼらしく見えた。シャッターの剥げかけた落書きはいつからあるのだろうか。車内の暖房は付けないでおいた。空気が澄んだ寒さは好きだった。季節の中で冬が一番好きだ。寒い中で町を歩いた思い出に、よい思い出が多いせいかもしれなかった。人影はひとつも見あたらなかった。しばらく走らせると、トラムの前の方で音がし、車体が揺れた。何かを引いたかと慌てて、運転席に駆け寄ったけれどトラムを止めることができたのは後輪もその何かに乗り上がってからであった。

 電源を切り、運転席の横から外に出た。小石か小枝かの上を通ったのだろうと予想していた。足下を後ろまで見渡したが何も見あたらなかった。反対側かと屈んで車体と地面の隙間を見た。隙間は狭く、色もかたちも分からないものが落ちているのが見えた。思っていたより大きそうだった。ぞっとした。正面をまわり運転席の反対の側面に出ると、思わず、あっ と声が出た。引いたか、と背筋が寒くなった。その場で立ち止まり、観察した。そこから見た限り外傷はなかった。それはこちらを背に向け寝ていて、身体は線路と直交するように横たえられていた。頭は車体の後ろ側に向いていて顔は見えなかった。不自然に頭の部分が他より高くなっているのは、配給の箱を枕にしているようであった。肩のあたりまである髪は箱に沿って緩やかに流れている。

 風が吹いて、足下にちらちらと何かが舞っているのに気が付いた。屈んで拾うと小さな長方形をした薄い紙で、ぐずぐずしたとらえどころのない文字のようなものが連なっていたけれどとても文字には見えなかった。あちこちに散らばっていて、拾っているうちに若干であるが動揺と恐怖とが収まりつつあった。紙の出所はどうやらそれの――その少女の傍らにある鞄であるらしい。鞄の肩掛けの紐はレールの上に乗っており、引いたのはこれであるらしかった。

「どうしようか、」

皮でできているらしい鞄は固く重かった。彼女の服装といい、この辺りでは見かけない。何処か遠くから来たのではないかと想像した。戦闘地帯から逃げて来たのかもしれない、でもここも直にそうなる。すぐ横を大きな乗り物が通っても気付かなかったのは、疲れているからだろうか。

 

 

 

続きは会場で…

 

見本誌コーナーでもブースでも見本冊子を置いておきますのでどうぞお気軽にお手に取ってご覧下さい。

 

 

 

みんなの文フリ エ52

今回の文フリ、ブースでは個人の本だけでなく、去る11月2〜3日に行いました、『空間みんなの風景』という展覧会の記録本も頒布いたします。

 

↓ メンバーが記事を書いてくれました。

 

nononinono39.hatenablog.com

 

 

 
 

空間みんなの風景【記録集について】

http://withoutwisdom329.wixsite.com/ezokomashi51/single-post/2016/11/12/空間みんなの風景【記録集について】

 

 

この展覧会では、ある条件を達成すると会場内のものを自由に動かせたり、自分のものを会場内のものとを物々交換できる仕組みをもうけました。

ある条件とは「おばけの服を着ておばけになること」です。

 

展覧会会期中、会場内に自分が執筆した、おばけになって物々交換しないともらえない小さい本を置いていました。

 

今回迷いましたが、文学フリマでも同様に物々交換のみの頒布をしようと思います。(おばけになる必要はありません!)

『澄沙とみのり』という折本で、今回文フリで出す個人紙の新刊のスピンオフになっています。

会期中は、マスキングテープ、飲食店の割引券、解熱鎮痛剤など色々なものと交換しました。

交換するのもはなんでもかまいません。

本と何かを交換するという行為が文フリで行われるとなるとどうなるのか、とても楽しみです。

等価か不等価かなんて関係ない物々交換、お待ちしております。

 

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第23回 文学フリマ東京 新刊サンプル

前回の記事に書いたように11月23日に行われる文学フリマ東京に参加します。

スペースは エ−52 です。 

 

toubako.hatenablog.com

 

 

以下、新刊『半夏生』のサンプルです。

夏の話、七年前高校時代に死んだ友達が忘れられないほぼニート女子と、同じく七年前妹を亡くした17歳フリーター女子が思い出話したりふらふらほっつき歩いたりする話です。

 

 

半夏生

 

 図書館に行った帰りはその後の予定がなければいつも同じ道順で散歩をする。今の私はたいてい暇だから、そのまま一番近い駅から帰ることはあまりない。初めの頃は何パターンかあったルートも、このところは彼女と一番多く歩いたものに落ち着いた。七年半でもう何度歩いたか知れない。

 図書館を出て南に進み駅を通り越す。欅の木立が途切れると急に蝉の声が遠くなる。蝉は毎年いつの間にか鳴いている。鳴き始めるのってこの時期だっけ、と毎年思う。高校の修学旅行で沖縄に行った時、6月始めだったのに蝉の声がして驚いた。まるっきり違う気候の場所なんだと自分の住んでいるところとの距離のことを考えてみたけれど、日本地図を思い浮かべても左端の方でてんてんと連なっている小さな島々はそれぞれがどのくらいの距離隔てられているかや、主要都市までどのくらいあるのかを考えても実感がわかない。海の近くに住んでいれば、海の距離が分かるようになるのかもしれないと思った。

 駅裏に生えているメタセコイヤの先っぽだけが駅舎からつんつん出ている。片側5車線あるだだっぴろい五叉路を信号と歩道橋で乗り越える。歩道橋は駅向こうの公園に向かう男の子たちが走って揺れた。虫取り網を持っていたけどあんなところで捕まるのはアブラゼミくらいな気がする。保育園に通っていた頃、蝉の抜け殻を集めるのが好きで透明なプラスチックのケースを母から貰っていっぱいになるまで詰めて玄関に飾った。抜け殻は動かないから捕まえやすくてよかった。抜け殻の目玉が油を塗ったみたいに綺麗でそこが一番好きだった。目玉は小さいから目玉のつるつるだけ触ろうとしてもそれは無理で、ついでに口元の毛が生えている部分も指に触れた。目玉が油を塗ったみたいだからアブラゼミと言うのだとつい最近までそう思っていた。

 澄沙とこの道を歩いたのは丁度今の時期から十二月までで、いつも古本屋と饅頭屋に寄って最後に駅前のドトールで本を読んで帰った。澄沙は何か気になる草とか花とかを見つけるとすぐ触ったりちぎったりするから、細かい道順は澄沙の興味が向いた方向でその時々で違ったけれど、古本と饅頭とドトールの三つは絶対だった。一人で歩くようになり二年経った時に、潰れないと思っていたドトールが潰れて、古本屋と饅頭屋が潰れないのが不思議だった。澄沙は店前の50円のワゴンしか見なかったし饅頭じゃなくてすあましか買わなかった。店内の棚をちゃんと見てずっと欲しかった詩集が見つかったのも、餡子の入った饅頭を買ったのも一人で歩くようになってからだった。饅頭屋で私はいつも何も買わずに澄沙に着いていくだけだったのを、店の人はどう思っていたのか後になって考えた。あの頃は、いつだって自分のことが一番大事で、他人からの目線とか周囲の多数派とかに、合わせようという気が起こらなかった。周りへの気遣いを皆が無意識にしていることすら分からなかった私は、自分と、自分の好きなものしか大切に思えなかった。他人への興味が薄かったせいよりも、ただ単純に自分の行動が他人やその場に影響を及ぼすことが分からなかっただけだった。

 今日みたいな直射日光が暑い日にでも日傘なぞささずにこの道を歩いた。さすがに日陰があるとそこを歩いたが、夏は真昼の日焼けする日差しと夕方のぬるい橙のどちらかに私たちがいた。いつも図書館の帰りだったから朝には歩かなかった。私が右を歩いて澄沙が左を歩いた。夏の、夕暮れの長い光を背に逆光になった澄沙の横顔は、輪郭の細い髪がきらきらして美しく私は好きだった。夏休みに髪を脱色して金色にしていた時は尚更綺麗で、学校が始まる時に戻してしまうのがもったいなかった。初めてその髪を見た時は誰だか分からなくて話しかけてきた澄沙を睨め付けて「似合わない」と言ってしまったけれど、それはただ目が慣れていなかっただけでしばらく経つと彼女の白い肌にぴったりなことがよくわかった。図書館の自習室で唐突にそれに気がついて「よく見たら似合う」と伝えると、「おそい」と言って丸めたノートで頭をぽんと叩かれた。こそこそじゃれ合っていたのはうるさかったらしく、近くに座っていた同い年くらいの女の子にきっと睨まれた。

 

 

 澄沙は歩いている途中でよく私を写真に撮ったけど私は彼女のことを撮らなかった。そもそもカメラを持ち歩いたりしなかった。でも澄沙が撮った写真はあまり見たことがない。今もどこかに残っているのだろうか。彼女の写真が一枚もないのに、今、少し後悔している。

 中学に上がるまで住んでいたマンションの間取りを思い出すのに少しづつ時間がかかるようになったのは高校二年の時で、たかだか四年で十年以上ほぼ毎日過ごした場所の記憶が薄らいできたのに戸惑った。しかしよく考えると、自分は何に関しても忘れっぽいことに気がついて、済んだことはどうでもいいことと頭のどこかで思っているのかもしれなかった。小さい頃のことを思い出してもそれが本当に自分の身に起こったことなのか自信が持てない。そんな風に感じてしまうと、その記憶の内容は作り話や私でない誰かの経験なんかと違いがないように思えた。澄沙に手紙を書くようになったのは定期的に彼女のことを思い出していかないとあんなに大切に思っていた人まで忘れていってしまうと思ったからだ。澄沙の顔や声はどんどん忘れてきていて、もう見ることができないのだから、これからも忘れていくしかできない。せめて一番好きだった彼女との会話の感じだけ覚えていたくて、報告したいこととそれに対する澄沙の返事を考えて紙に書いている。澄沙の言葉を私が考えているから、手紙とは言えないのかもしれないけれど、私はここが好きで、私が澄沙を忘れないようにするために、これまでの思い出の他に、今彼女が居たら起こりえたかもしれないことも作り出していきたかった。

 図書館前の駅からでも私たちは家に帰ることができた。そうせず、わざわざいくつか離れた駅まで歩いていったのは、寄り道の為もあるし図書館前から地下鉄に乗ってもその離れた駅、千早で乗り換えをしなければならなかったからだ。それに千早からだと定期券が使えたから電車賃がかからなかった。澄沙の高校は私の高校と同じ路線の4つ離れたところだった。学校の帰り道によく見るそこの夏服は空色のセーラーカラーにグレーのスカーフで可愛く人気があった。多くの生徒は白靴下を三つ折りにして茶色のローファーを合わせていた。今も変わらずその格好の女子生徒が歩いている。いつの間にか共学になったらしいけど男子生徒の制服がどんなであるのか知らなかった。

 私たちが居たドトールは建物から取り壊され、新しい三階建ての雑居ビルになった。建物は綺麗なのに元からそこにあるようで、ドトールでなくなっても私はそこが好きだった。テナントは一階が輸入物の雑貨屋、二階が古着屋、三階が喫茶店で三店舗とも内装に飴色の木材が使われていて、できた時から所々すり減っている部分があった。一階と二階は、どこかで誰かに使われていたものをここで次の持ち主に手渡すところだから、その内装はぴったりだと思った。表に小さなプレートしか出していない喫茶店は三階まで上がってくるのがみな億劫なのかいつ行ってもあまり人は居ず、一番安いコーヒーが250円なのが良かった。一人掛けのソファもあったけれどテーブルが低かったので座ったことがなかった。図書館からの散歩の終点に私はよくそこに行く。コーヒーだけ頼んで澄沙に手紙を書く。ビルができて四年経つ、その前はドトールで書いていた。散歩が終わった後にしか書かないけれど、それでも今は結構な分量になっていた。宛名は便箋の一番上に「舟木澄沙」一番下に「多屋みのり」紙は5ミリ方眼のレポート用紙。出すあてのない手紙はファイルに挟んで本棚にさしてある。読み返すことはめったにない。

 

 

 その日は閉館三十分前のアナウンスを聞いたから七時半までは図書館に居たことになっていて、七時過ぎるまで図書館に居るときはもう散歩はしないのが常だったけれどその日はした。それは彼女に手紙を書きたかったからで、家に帰って書けばいいのだけれどそうしたくなくて、というか経験上それが出来ないから早足で千早に向かった。夏でも八時近くだとさすがにもう暗くなっていて、夜は滅多に歩かないその道に電灯がほとんどないのに初めて気付いた。すれ違う人は学校帰りの中高生だけで、騒がしい繁華街から少し距離があるこのあたりはファミリー向けのマンションがいくつも建ち始めていた。小走りで誰かが近づいてきて、水色のセーラーに抜かされた。夏のにおいがした。

 古本屋も饅頭屋ももちろん閉まっていたけれど、いつもの喫茶店は開いていた。もしかしたら閉まっているかもしれないと思っていた。閉店時間が九時であると確認しコーヒーを注文した。客は私しか居らず、キッチンの中にいつも居るおばさんと、バイトの女の子と私しか居なかった。コーヒーが来る前から手紙を書き始めた。ペンケースの中からシャープペンを取り出す時のじゃらじゃらいう音がやけに響いた。手紙用のレポート用紙は図書館に行く時は常に持っている。宛名と、今日読んだ文芸誌に澄沙が楽しみにしていたシリーズの新作が載っていた、と書き出す。

七年間音沙汰がなかったものが急に動き出したのが楽しくて楽しくて、澄沙は絶対興奮すると思う、色んなこと忘れてるけど読んでて楽しい

みのも楽しいんだ、苦手そうなのに

読むと意外と楽しかった、澄沙が読んでなかったら読んでないよ

私の言葉と澄沙の言葉とを書き連ねていたらコーヒーが来た。文面から目を離さずに礼を言った。ウェイターの子は「九時までです」と小さい声で呟いて、それに対して小さく頷いて返事をした。

 手の文字に頭で思い浮かぶ会話が追い付かないのがもどかしい。手が遅いから言葉が逃げていく気がする。集中して紙の半分ほどが埋まったところでふと、気持ちが途切れた。コーヒーに手を付け休憩をする。いつの間にかさっきのウェイターの子が少し離れたテーブルでナポリタンを食べていた。フォーク一本で太い麺を器用に巻き上げ大きい口で、見ていて気持ちのいい食べ方だった。しばらく見ていたら一瞬目が合って、その子は反らさずにもぐもぐしながらこっちを見ていた。少し気まずくてすぐに目をそらした。自分が空腹なことに気付いたけれど、あと三十分でここは閉まるし早く切り上げて何か買って帰ろうと決めた。ぬるいから冷たいの間のコーヒーを一気飲みして帰る支度をした。女の子はナポリタンを食べ終わってて、レジの横で何やら作業をしていたところに私は伝票と共に五百円玉を差し出した。ぽつぽつと五百円お預かりしますとかなんとか言って、おつりをくれた。財布に小銭をしまう時「あの」と声をかけられた。「死んだ人に手紙書いて、楽しいですか」と彼女は言った。

 瞬間、何で分かんの、と思うのと同時に怒りが胸の中に広がった。それまでいい気分でいたのに全て消し飛んだ。何が分かる、と思った。あなたに何が分かる、これは私の持ち物だ、と。とっさに「死んでないよ」とそんな言葉が口をついて出た。自分の声が変な風に震えていた。

 

 

続きは会場で…

ここにあげたのと若干の加筆・変更がある可能性もあります。

※11/22 決定稿に差し替えました

 

完全に余談ですが、最近プリパラにはまっていて、今回の話に出てくるけれど話の中では死んでいる人物の名前をマイキャラちゃんに付けていて、書いているなかでは死んでいるのに(というか自分が殺してるとも言う)プリパラの中ではアイドルしててどんどん可愛くなってる!!と楽しいです。余談おわり。

 

 

それでは当日、よろしくお願いします。

 

原稿に戻ります……

 

第23回 文学フリマ東京 参加します

11月23日に行われる、文学フリマ東京に参加します。

 

スペースは エ52 です。

カテゴリーが詩歌その他ですが、小説出します。

無響サイレン@第二十三回文学フリマ東京エ-52 - 文学フリマWebカタログ+エントリー

 

新刊『半夏生』がんばります。気合いで間に合わせます。

また出だしの方、試し読みでアップしようと思っています。

 

 

11/9  試し読みアップしました 

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また、先日行いました展覧会「空間みんなの風景」の記録集も気合いで間に合わせて出したいと思います。

実際の展示を観に来られた方はほとんどいないと思われますが、展示を観ていない方でも楽しめるような記録集にしたいと思っています。

会場で起こったことの写真や、展覧会参加メンバーの文章などが載った本になるかと思います。

展覧会の様子は一部Twitterでもアップしています。

#空間みんなの風景 で一度ご検索を…

 

twitter.com

 

 

秋の文フリ初めてなので楽しみです。

よろしくお願いします。

 

 

執筆に戻ります…

 

 

      one table & two chairs

 

      律

 

 律とは別に、仲がよかった訳ではない。授業のグループワークとか以外では話したことがなかった。律と仲がよかったのは科子ぐらいで、他の子達とは全然、話しているところさえ見なかった。律は猫背で、よく隣りにいる科子は背が高くて姿勢もいいから余計小さく見えた。私の席は律の斜め右後ろで、教室全体の廊下からすぐ隣りの列の一番後ろだった。席に着くと目の高さになるすりガラスの戸を私は何時だって細く開けていて、廊下の窓の外を見るのが好きだった。そこから見える中庭の欅は教室の中には届かない風で揺れていた。律は授業中にも堂々と本を読むから何だか怖かった。見つかって本を取り上げられても、大抵次の時間にはしらっとした顔で別の本を読んでいるから変な奴、と思ったのが最初だった。本を読みながらでも授業をきいているのか、時々ノートにペンを何か書き付けているけど、それが授業に関することなのか読んでいる本に関することなのか分からなかった。去年は律と違うクラスだった。でも今年は同じクラスで、律は私の斜め左前の席で、それだけが私と律との関係だった。

 

続きを読む

西暦2356年のゆり

急にあのアニメのあの回のことを思い出しそわそわしたので書きます。

 

タイトルで察しのいい人は気付かれると思います。はい、『宇宙のステルヴィア』です。そしてもちろん、第19話「なきんぼ おこりんぼ」です。

ステルヴィア』をご存じない方のため、まずはイントロダクションを。

第1話のオープニング前に主人公、しーぽんこと片瀬志麻の声で語られます。

 

これは今から189年前のお話です
みずへび座β星 ハイドラスβの超新星爆発
20光年離れた地球にも大きな被害をもたらしました
ガスに包まれた緑の宇宙 それが私の知っている宇宙の色です
でも私は見てみたい 昔の人々が地球から見上げることの出来た宇宙の色
だから私はステルヴィアに行きます
今は西暦2356年

 

時は西暦2356年 宇宙ステーションの一つであるステルヴィアの中の学園が舞台です。この学園はオーバビスマシンという一種の宇宙船の操縦訓練をする場であります。

こう書いてしまうと敵が出てきて戦う系か〜と思いがちですが、このアニメ、最終話まで敵と憎み合って戦うような戦闘シーンが出てきません。作中で「せんそうって?」とアリサが尋ねるシーンがあるように、学園の生徒達は「戦争」という言葉さえ知らないのです。

立ち向かうべき対象ははっきりと提示され、それに向けて物語は進んでいくのですが、その対象は憎しみや怒りといった感情を持ったものではありません。200年前から起こることが決まっていた自然現象であるのです。

そんなので物語が面白くなるのか?と普通思うのですが、これがすこぶる面白い。武装できるロボット=戦闘用という図式を軽やかに壊す、ここにこの作品の心髄があると思います。

 

以下、本編視聴を前提として話を進めていきますのでネタバレあります。

 

 

 

 

さて、前項までこの作品の「戦い」の不在について述べました。グレートミッションやジェネシスミッションは、協力して立ち向かわなければ人類の存続が危ぶまれるレヴェルの出来事で、その間人類間で戦いなどしている場合ではない状況でした。しかし、その二つが終わり最終回を迎えた時にふと思ったのは「次は人類同士で戦うだろうな、」ということでした。経ち消えになってしまった2期の草稿はファウンデーション間の争いであったと思います。

 

本題に移ります。「なきんぼ おこりんぼ」です。

タイトル通り女子メンバー4人(しーぽん、アリサ、弥生、晶)がすれちがって怒ってケンカして号泣して仲直りするお話です。

しーぽんとアリサがケンカして、弥生ちゃんとしーぽんもケンカして、晶とアリサもケンカして、という非常にめんどくさいことになるのですが、

アリサは基本的にしーぽんのことを心配するあまりに、本人や晶に強く当たります。

一方、問題の張本人のしーぽんは、自分の気持ちなんて誰にも分かってもらえないと塞ぎ込み、弥生やアリサをつっぱねるのです。

 

しーぽんの台詞の

「アリサも光太くんも弥生ちゃんも晶ちゃんもみんな私じゃないもん!分かる訳ないよ!」や

「私だけひとりぽっちだもん!」

という台詞からは、自分の苦しみは他人には分からない自分だけの持ち物なんだというしーぽんの考えが伺えます。

同様の図式が『中卒労働者から始める高校生活』佐々木ミノル(NICHIBUN COMICS)の第2巻終盤でも繰り広げられます。

ここでは主人公の片桐真実が中卒である自分のことに関して

「この程度で自分を可哀想がっておかしいか!?」

「散っ々言われて来てんだよ 「もっと不幸な人間いっぱいいるんだから」って!!」

「これは俺の苦しみだ俺の持ち物だ!持ってねえ奴がごちゃごちゃうるせぇよ!!」

と吐露する場面があります。しーぽんも真実も自分のことを理解してくれる人はいないと決めつけてしまいます。色々こじらせてる身としてはこういう気持ち、わかる…と思ってしまうのですが…

実際には彼女彼らを心配して歩み寄ろうとしてくれるしーぽんには4人の友人達が、真実には工場のおやじさんと莉央が、いることに気付いていない/目をそらしている状況が生み出す言葉なのだと思います。

 

そんな愛すべきヘタレしーぽんを心配する友人が考えることは皆同じで、やっぱりもうすぐ無くなりそうな「こんぺいとう」のことですね。

口で言い合っても、クッション投げ合っても、お互い「何でわたしの言ってることが分かんないの!」と主張するだけで埒があかない。おそらく本人達も仲直りしたいけどその仕方が分からなくて、さらにイライラする状況が作り出されてしまう。

そこで、こんぺいとうをきっかけにしーぽんが泣いて、とにかくみんながみんな仲直りしたくてお嬢でさえ晶でさえ泣いてしまうあの場面は、どうしようもなくて言葉でも他の何かでも示すことのできない、なんだか泣いてしまうしかない状況ってあるよねというようなシーンだと思います。

アリサの「私だけなの 友達だと思ってたのは!?」はなんともアリサらしいな…と。

ここでしーぽんとアリサの大安売りでない友情関係(笑)がしっかりと築き上げられることで最終回のあの感動のピーターパンが楽しめる訳ですね。

 

この19話のよいところは、仲直りした翌日の、もーすっかり元通りというかそれ以上になった4人の絡みがなんとも可愛いです。みんながみんな、一緒に居たがっている。いい百合だよなぁというところで終わります。

 

 

 

追記

ステルヴィア内カップルで最高なのはジョジョと晶ちゃんだと思うのですが!!!!

22回文フリ東京おつかれさまでした

2016年5月1日文フリ東京お疲れさまでした。

 

ブースにお越しいただいたみなさま、ありがとうこざいます。

 

初めて合同誌を作りまして、、

メンバー三人だったのですがもう時間なくて、出発前夜にひーこらいいながら製本しました…

しかし可愛くできたので満足です。

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表紙にはんこ押してトレペかけてリボン結んで… 内職でしたね…

 

『みんなのゆり』ということで、百合本ですが、

そもそも「百合」とは?という投げかけになっている本であったと思います。

「おすすめのゆり」担当のかなちゃんぽんが書いているように、「百合」の解釈は人によって異なりますし、もしくは時代によっても変化するものであると思います。

自分が考えたのは「女の子が他の女の子/女の子たちと一緒に居たいという気持ちが醸し出す空気」そのものが百合なのでは…?ということです。ゆるゆるとそんな話を書きました。

 

そしてそして、本書では「百合文化交流」なるものを提案しております!

 

http://nononinono39.hatenablog.com

 

こちらのブログで「おすすめのゆり」内で紹介した作品の、ネタバレを含んだ意見交換・交流が行われます。

第一弾は「美少女戦士セーラームーン」の無印、「セーラー戦士死す」の回について語っております。テンション高いね。このまま勢いを保って欲しいですね。是非ご一読を…

 

 

 

さて、おまけとして自分も「おすすめのゆり」を一冊紹介したいと思います。

本ではアニメ、映画、小説だったので漫画で。

 

『ガールズライド』 磯本つよし (芳文社 まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)です。

ガールズライド (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ) | 磯本 つよし | 本 | Amazon.co.jp

 

バイク乗りの二人の女子高生が放課後にたこ焼き食べにいって、休みにはツーリングで遠出して峠でお団子食べて…

いやー 可愛くて丁寧な漫画でいいです。というかベタでいい。

二人ののほほんとした関係もいいし、漫画のキーとなるバイクも昔の渋いのがモデルになっていて可愛いです。

自分がクロスカブ乗りなので、出てくるハンターカブがかわいくてかわいくて…完全に羨ましいです。

バイク乗りもそうでない人も楽しめると思います。

 

あと岡崎京子の「危険な二人」も百合として読めるのでは…と

特にラスト。ママが二人いてもいいじゃん!!いいっすなー

 

 

 

追記:ターリー屋のカレー食べました◎ 食べる食べると言っておきながら、店番してる間ものを食べる精神状況にないことを向こう行ってから思い出しました。閉会間際に半額になってたのを友人にちょっともらいました。おいしかった。