島の小屋のタイプライターから

「書かれた言葉は弱い。多くの人は人生のほうを好む。人生は血をたぎらせるし、おいしい匂いがする。書きものはしょせん書きものにすぎず、文学もまた同様である。それはもっとも繊細な感覚—―想像の感覚、想像の聴覚——そしてモラル感と知性のみに訴える。あなたが今しているこの書くということ、あなたを思いっきり興奮させるこの創作行為、まるで楽団のすぐそばで踊るようにあなたを揺り動かし夢中にさせるこのことは、他の人にはほとんど聞こえないのだ。読者の耳は、大きな音から微かな音に、書かれた言葉の想像上の音にチューニングされなければならない。本を手に取る普通の読者には、はじめはなにも聞こえない。書いてあることの調節状態、その盛り上がりと下がり具合、音の大きさと柔らかさがわかるには、半時間はかかる。」

「なぜ人は、大きなスクリーンで動きまわる人間たちを見るのではなく、本を読むのか。それは本が文学だからだ。それはひそかなものだ。だが、われわれ自身のものである。私の意見では、本が文学的であればあるほど、つまりより純粋に言葉化されていて、一文一文創り出されていて、より創造力に満ちていて、考え抜かれていて、深遠なものなら、人々は本を読むのだ。本を読む人々は、とどのつまり、文学(それが何であろうとも)好きな人々である。彼らは本にだけあるものが好きなのである。いや、彼らは本だけがもっているものを求める。もし彼らがその晩映画を見たければ、きっとそうするだろう。本を読むのが嫌いなら、きっと読まないだろう。本を読む人々はテレビのスイッチを入れるのが面倒なわけではないのである。彼らは本を読むほうが好きなだけだ。そもそも本を読まない人々に気に入ってもらおうとして何年も苦労して本を書くなどということ以上に悲しい試みがあるだろうか。」

第二章 「ひそやかな心細いもの」『本を書く』 アニー・ディラード 1996 パピルス

 

『石に話すことを教える』は小説であった。完全な感覚でとらえられた事実は完全な小説になる。

『本を書く』の原題は『The Writing Life』